【天ぷら 浅沼 浅沼努武氏】苦手だった天ぷらが天職に。9年の修業を経て独立した職人が追求する"胃もたれしない一皿"
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「君は味覚と嗅覚が鋭い」―父の一言で料理人の道を歩み始めた浅沼さんは、ひょんなことがきっかけで苦手だった天ぷらの世界へ飛び込む。「銀座 天一」での9年間の修業時代、お客様からの「君のレベルは低すぎる」という言葉に打ちのめされ、1ヶ月間全国を食べ歩く中で理想の天ぷらを追求した。
18歳から毎月5万~10万円を貯金し続け、27歳で開店資金を貯めて独立。2022年に日本橋で開業した「天ぷら 浅沼」は、わずか半年で「食べログ 百名店」に選出され、現在は「The Tabelog Award Silver」を受賞するまでに。業界では異例の16,500円という価格設定を貫きながら、「胃もたれしない天ぷら」を追求し続けている。
今回は浅沼さんにインタビューを行い、飽き性だった青年が天ぷら職人を「天職」と呼ぶまでの軌跡をたっぷり語っていただいた。
1994年山形県生まれ。高校卒業後、18歳で上京して天ぷら料理の名門「銀座 天一」に入社。帝国ホテル店や日本橋高島屋店での修業を経て、27歳で独立。2022年9月、日本橋に「天ぷら 浅沼」を開業し、わずか半年で「食べログ 天ぷら 百名店」に選出された。2025年には「The Tabelog Award Silver」を受賞。若き天ぷら職人として注目を集めている。
「君は味覚と嗅覚が鋭い」父の一言で料理人への道が拓けた
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――浅沼さんが料理人になったきっかけを教えてください
浅沼さん:もともと母子家庭だったのですが、小学3、4年生の頃に家庭の事情で父子家庭になりました。それで姉や父の手料理の手伝いから始まり、徐々に僕と姉が交代で料理を担当するのが日常になったんです。
中学生だったある日、夕飯にカレーを作ろうとしたらちょうどルーを切らしていて。当時よく観ていた料理番組で紹介されていたレシピを思い出して、ルーを手作りしたんですよ。小麦粉を炒めて、玉ねぎを入れて、ウスターソースで味付けして。見よう見まねで完成させました。
――それはすごいですね!手作りカレーに対するご家族の反応はいかがでしたか?
浅沼さん:父は厳格でめったに子どもを褒めない人だったんですが、唯一褒めてくれたのが僕の手料理でした。父は僕の作ったカレーを食べて、こんなことを言ってくれたんです。
「君は味覚と嗅覚が鋭い。発想力もあるし、嗅覚を味方につけたいなら料理の道に進んでみたらいいんじゃないか?」と。そのアドバイスをもらう前は、絵の道に進むつもりでした。でも父の一言がきっかけで、本格的に料理の道を目指そうと決めました。
我が家は決して経済的に豊かではなかったんですけど、父は調理科のある私立高校に通わせてくれたんです。「学費を払っていただくのだから、一生懸命料理を勉強しよう」と、父に感謝しました。
人生を変えたのは「苦手だった天ぷら」―恩師の一言に導かれて
――高校時代はどのような進路を考えていましたか?
浅沼さん:当時は「天ぷら職人」が将来の選択肢にすら入っていなかったです。軽い気持ちで「フレンチの料理人かパティシエになりたい」と進路を考えていて、そこに深い理由はなかったんですね。
でも先生は、僕の浅はかな気持ちを見透かしたのでしょう。ある日「浅沼くん、君の苦手な料理は何だ?」と聞かれました。僕は「寿司と天ぷらです」と答えたんです。
――天ぷらが苦手だったとは意外です。そのあと先生は、何とおっしゃったんですか?
浅沼さん:「君は世間を知らなすぎる。山形から出たこともない高校生が、一人前に食を語ってはいけない」と叱られました。それから先生にご紹介いただいて、天ぷらの名店「銀座 天一」を訪れたんです。
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そのとき食べた天ぷらは、言葉にできないほどおいしかった。あまりのおいしさに感銘を受けて、「銀座という舞台で活躍できるなら、苦手な天ぷらの世界に飛び込む価値がある」と思ったんですよね。高校を卒業後、先生のご紹介があったおかげで「銀座 天一」に就職できました。
――苦手だった料理を選ぶことに抵抗はありませんでしたか?
浅沼さん:今まで避けてきた料理を選んだことで、むしろ「苦手なはずなのに箸が止まらなくなるような天ぷらを揚げたい」という意欲が生まれたんです。自分自身で苦手な理由がわかるからこそ、できることだと思ったんですよね。
僕は飽き性で、何かを極めようとしても途中で満足してやめてしまう性格なんです。学生時代には相撲・柔道・剣道・茶道など、部活を転々としましたから。ひとつのことを極めた経験のない自分にとって、初めて“終わりなき探求”ができる道に出会えたと感じました。
「おいしい天ぷらを作れるようになりたくて、毎晩ひとりで揚げていた」挫折の繰り返しだった修業時代
お客様からの叱咤激励で目が覚めた
――「銀座 天一」での修業時代を振り返って、最も印象に残っている出来事は何ですか?
浅沼さん:若さゆえに天狗になっていた時期があり、お客様からお叱りの言葉をいただいたことです。
というのも、修業を始めてすぐ店の天ぷらを揚げさせてもらえるようになり、カウンターにも早く立たせてもらえたんですね。周囲から若いうちの独立を勧められて「もしかしたら職人としてやっていけるかも」と、調子に乗っていました。
――お叱りの言葉とは、具体的にどのような内容だったのでしょう?
浅沼さん:「君の天ぷらのレベルは低すぎる。もっと食べ歩いて勉強したほうがいい」とご指摘をいただきました。

若手の頃、修業の一環として天ぷらのケータリングをやっていたんです。休日に友人や知人の自宅に出張して、食材費程度のお金をいただいて。
自分では上出来だと思った天ぷらが、そこで出会ったお客様にとってはまだまだだった。この事実に衝撃を受けて、修業が足りないんだと挫折を味わいました。
全国の名店を食べ歩いて探し求めた理想の味
――お客様から手厳しい評価を受けたのち、浅沼さんはどのような行動を取られましたか?
浅沼さん:自分の未熟さに悔しくなって、気持ちを入れ替えました。それから1ヶ月間の有給を取得して、全国の天ぷらを食べ歩いて勉強しようと決意したんです。予約の取れるお店を手当たり次第訪れて、ありとあらゆる天ぷらを研究しました。
「もし成果がなければ天ぷら職人を辞めて、潔く地元の山形に帰ろう」―当時はそれくらい強い想いがありました。
食べ歩きをして新しい気づきがあれば、自宅で何度も天ぷらを揚げる。頭の中にある「自分の揚げたい天ぷら」に近づくために、試行錯誤して研究を重ねましたね。
――相当な覚悟を持って全国の名店を食べ歩き、研究を重ねられた成果はいかかでしたか?
浅沼さん:背水の陣に臨むつもりで食べ歩きをしたおかげで、味覚が磨かれましたし、「自分が理想とする天ぷら」の土台も築けました。
お客様からのご指摘がなければ、今の僕はいない。そう思います。
苦手だからこそ生まれた理想の「胃もたれしない」天ぷら
――浅沼さんにとって「理想の天ぷら」とはどのようなものですか?
浅沼さん:老若男女、どなたが召し上がっても「胃もたれしない天ぷら」です。
僕は胃が弱い体質で、子どもの頃は天ぷら・とんかつなどの揚げ物を好んで食べられなかった。揚げ物の苦手な理由がわかるからこそ、それを克服した天ぷらを揚げたいという意欲が根底にありました。
だから何度も試行錯誤しました。仕事終わりの疲れた身体で家で天ぷらを揚げて試食して、胃もたれするかどうかを自分の体で確認もして。
――普通は苦手なものを避けたい人が多いと思うのですが、あえて克服しようと努力なさったんですね
浅沼さん:そうですね。もちろん無理に克服すべきとは考えていませんが、僕は負けず嫌いなので正面から立ち向かいたかった。
お年を召した方でも、女性でもお子さんでも、天ぷらを食べて胃もたれせずに“もう一回食べたくなるような天ぷら”、「ああ、いい天ぷらを食べたな」と記憶に刻んでもらえる一品を提供したいんですよ。
“自分らしい天ぷら”を揚げるために―9年間の修業を経て独立
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18歳の頃から地道に開業資金を貯めていた
――浅沼さんはいつから独立を考えていたのでしょうか?
浅沼さん:「銀座 天一」に就職したときから、“いつか自分の店を持ちたい”という目標を持ち続けていました。そのために、18歳のときからコツコツ貯金していたんです。
毎月5万〜10万円ずつ積み立てていけば一年間で100万〜110万円になる計算で、30歳までに1,000万円前後に到達する計画を立てました。
――10代の頃から覚悟が固まっていらっしゃったんですね。なぜそれほど独立に対する意欲が強かったのでしょう?
浅沼さん:自由に働ける環境が欲しかったんですよね。自分の選んだ食材を自由な発想で天ぷらにして、お客様に振る舞いたかった。「銀座 天一」での働き方に不満があったわけではないですが、創意工夫するなら自分の店がなければ実現できないと考えていました。
最終的に800万〜900万円くらいの資金ができて、それを元手に金融機関から融資を受けることができました。
事業計画書は3年かけて作り込んだ
――金融機関へ融資の申請をする際に、どのような準備をされましたか?
浅沼さん:もともと慎重な性分だったので、緻密に練り上げた事業計画書を作成しました。24歳のときから準備を始めて、完成までに3年ほどかかっています。
満を持して担当者と面談に臨んだ結果、合計1,400万円の融資が決定しました。
今だから話せるんですが、お店のテナントを契約した時点では融資が下りるかどうか未定でした。後に引けない状況だったので、金融機関から連絡がきたときは安堵しましたね。

――なぜスムーズに融資のお話が進んだのか、浅沼さんなりに「これが功を奏した」と感じたポイントはありましたか?
浅沼さん:「一日あたりのお客様が1人〜2人の日が続いても生きていける」という最低ラインのプランと理想のプラン、この2種類を作成したのがよかったのかもしれませんね。
それに加えて貯金以外のお金の使い方も確認されて、「まじめに事業をやろうとする意欲が見て取れる」と判断されたのだと思います。修業時代、毎月の給与から貯金額を差し引いたほぼ全額を、食べ歩きを含めた食への投資に充てていました。9年間で少なくとも600万円以上は費やしたと考えています。
修業場所が日本橋だったのもプラスに働いたのでしょうね。開業場所とも近く、すでにこの近辺にお得意様がいらっしゃいましたから、売り上げが立つ見込みありと認識されたのではないかと。
親族と知人の支援を受けて開業に至る
――開業の準備をする過程で苦労されたことはありますか?
浅沼さん:お店の内装工事が必要だったので業者に見積依頼をしたところ、想定以上に高い金額を提示されたんですね。工事費用の相場はよく知らなかったものの、「さすがにそこまで高額にならないのでは?」と疑問を感じて、親戚に相談しました。
たまたま姉の夫が板金業を営んでいたので、彼に工事業者から渡された見積書を見せたら「もっと現実的な価格でできる」という助言をもらったんですね。おかげで内装工事の費用を安く抑えられました。開業の2ヶ月前に「銀座 天一」を退職して、親戚の手も借りながら店を作り上げたんですよ。
あとは知り合いに助けられた部分もありました。保険の担当者や元金融公庫の職員だった方など、飲み仲間の知人からも無償のアドバイスを受けまして。僕一人だったらこのお店は作れなかった。見返りを求めず力を貸してくれる仲間のありがたさを実感しましたね。
開店半年で百名店入りした「天ぷら 浅沼」の魅力
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江戸前の食文化が息づく日本橋で伝統を守る
――なぜ日本橋でお店を開こうと思ったのか、理由を教えてください
浅沼さん:かつて魚河岸(うおがし[船が行き来して新鮮な魚が売買されていた])があった場所だからこそ、本来の江戸前天ぷらを出すのにふさわしいと確信していたからです。
かつて魚河岸では、水揚げされた魚を天ぷら・海鮮丼などにして提供する飲食店が軒を連ねていたと聞きました。僕の好きな「江戸前天ぷら」を流行らせるなら、日本橋しかないだろうと。
――ちなみに「江戸前天ぷら」とは、どのような天ぷらでしょう?
浅沼さん:東京で、胡麻油100%で揚げたものを、天つゆにつけて食べる天ぷらを「江戸前天ぷら」と呼びます。
僕は「ザクザクの衣+天つゆ」の組み合わせこそが江戸前の食べ方だと考えているので、そこは徹底的にこだわっています。ちなみに天つゆは鰹出汁・濃口醤油・上白糖・本みりんを独自の配合で混ぜて作っているんですよ。
地元の山形では蕎麦つゆで天ぷらを食べる文化があるので、それがルーツになっています。
居心地の良さと巧みな話術で食客の心をつかむ
――店内の雰囲気づくりや接客で工夫されていることはありますか?
浅沼さん:地元山形のケヤキと杉の木を使った内装にこだわっていて、「東京にいながら田舎を感じられる」空間づくりをしています。
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座席の空間はあえて広めに空けていて、「両手を伸ばせるぐらいゆったりした席数」を確保してリラックスできる環境にしているんです。
あとは料理以上の付加価値を提供することですね。「料理屋でおいしいものを出すのは当たり前」だと認識しているので。具体的にはトークサービスやカウンターでの会話を大切にして、店主とお客の垣根を超えた人間関係の構築を心がけています。
今も聴いているんですが、修業時代に落語から学んだ"話し方"がカウンタートークに活きていますね。
たとえば、お客様に天ぷらをお出しする際に「キスの天ぷらは天つゆにつけてシャクッと食べてください」と一言添える。効果音をつけると、お客様は衣の触感を想像して、実際に舌で確認しながら召し上がると思うんです。
――落語とカウンタートークがつながっているのは興味深いですね
浅沼さん:お客様は「『また天ぷらを食べたい』じゃなくて、僕とおしゃべりをするために来てくれてもいいし、新しいお酒を飲みに来てくれてもいい」と思っているんです。天ぷら以外の付加価値とは、そういう部分にあるんじゃないかと。
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僕自身も大の酒好きなので、お酒の目利きには長けているつもりです。天ぷら店では珍しく日本酒・焼酎・ワインなど充実したラインナップを用意しているので、お酒好きな方はぜひいらしてください。
――その他に、浅沼さんのお店の特徴的な点はありますか?
浅沼さん:あとは価格設定ですね。「お客様が背伸びせずに来られる価格で、お酒を楽しめる天ぷら屋」をコンセプトに据え、他の一流店が軒並み価格を上げるなかで開店当初から16,500円を維持しています。
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“日本橋で16,500円”というのは、同業他社からすると迷惑に思うかもしれません。または「なぜこの価格なのか?」と疑問を持たれるかもしれないですね。実際に「いつまでこの値段でやるんだ」と問われたこともあります。
素材を活かすための技術が光る
――「天ぷら 浅沼」では、どのような食材を使用されていますか?
浅沼さん:ウニやイクラといった高級食材は使わず、素朴な江戸前の食材を使用しています。キス・アナゴ・車エビ・季節の野菜など、シンプルな食材で「おまかせコース」のみで勝負しています。
高級食材に頼りすぎると「技術の向上がない」という考えから、あえて素材の味がわかる食材を使っているんです。
今、一番揚げていて楽しい食材は野菜です。これまで食べたことのない食感や味、香りを引き出す天ぷらを、お客様に提供したいんです。それを特に表現しやすいのが僕にとっては野菜でした。
一般的に家庭では、生の野菜をサラダにするか炒め物にするか、もしくは茹でて食卓に出すことが多いと思います。わざわざ野菜を天ぷらにして食べる方は、それほどいらっしゃらないかもしれない。だからこそ、お客様には新しい感覚を堪能していただきたいです。世の中にはおいしい野菜がたくさんありますから。
――高級食材に頼らない姿勢が、価格を維持する要因にもなっているのですね。
浅沼さん:そうですね。それに加えて、天ぷらだけを味わっていただきたいという思いから、小料理や刺身はお出ししていませんが、結果的にそれがコスト削減にもつながっています。
また、一日3回転(12時・18時・21時)を朝から晩まで一人でこなす体力があるおかげで、人件費を抑えられている面もありますね。
身体に染みついた職人技の感覚
油と衣の奥深い関係性
――ここからは、おいしい天ぷらに欠かせない油と衣について伺います。浅沼さんのこだわりをお聞かせください
浅沼さん:僕の場合は、きれいな油から揚げる食材とコクが出た油で揚げる食材とを区別しています。とりわけ「太白(たいはく)胡麻油」へのこだわりがあって、油の状態によって天ぷらの質が大きく変わるんですよね。

衣は時間で使い分けていて、作りたての衣と5分経った衣、10分経った衣ではまったく違います。「一番フレッシュな衣ならこういう食材、グルテンが発生してきた衣ではこれを揚げたい」という具合に使い分けていまして。油と衣のどちらも非常に奥深く、探求心が尽きることはありません。
――天ぷら作りの技を言葉で説明するのは難しそうですね
浅沼さん:そうですね。体というか感覚で覚えているので、言語化しにくいんですよ。
「旨味や香りをギュッと閉じ込め、口に入れた瞬間に弾けさせたい食材は、粘度が高くなった後半の衣で揚げる」といった具合に計算をしているんですが、状況によっても変わるので、すべてを言葉で説明するのは難しいかもしれません。職人技とは、そういうものだと思います。
毎日が創意工夫の連続
――浅沼さんが日々の仕事で心がけていることはありますか?
浅沼さん:僕は「自分自身が料理を楽しんでいないと、お客様にそのことが伝わってしまう。だからこそ、僕は常に料理を楽しんでいることを、天ぷらを通じてお客様に感じてもらいたい」という信念を持っているんです。仕事をしながら「この食材はどうやって揚げよう、どういう切り方をしよう」と常に新しい可能性を模索しています。
仕事に“遊び”の要素をとり入れる目的で、常連客に告げずに衣や揚げ方を少し変えて反応を見る試みを行っているんです。「今日の天ぷらはいつもより味が良い」とお褒めの言葉を頂戴すると「やった、俺の勝ちだな」と内心喜んでいます。
お客様の反応を見て「この揚げ方で間違いなかった。もっと進化できる」と考える楽しさがあるんですよ。
――なるほど、研究熱心でいらっしゃいますね
浅沼さん:肥えた舌をお持ちの常連客を満足させることで、より成長できますから。
「前回より今回のほうがおいしい。次回も期待しています」と言われると、さらに頑張ろうという気持ちになるんです。お客様が満足して、料理人も気持ちよく調理できる「win-winの環境」を目指しています。
「仕事と趣味の境目がない日々」を楽しめる人は長く働ける
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――浅沼さんが描く「理想の職人像」について伺えますか?
浅沼さん:“仕事が趣味の延長線上にある”のが理想の職人像だと思います。「自分の発想力では補えない部分を外食で補う」という姿勢を常に持ち続けることが大切ですね。
勉強のためによく外で食事をするのですが、他のお店で得た知識を「完全コピーではなく、オリジナルに落とし込む」再構築プロセスがものを言います。つい最近だと、フレンチレストランで舌平目のムニエルを食べた際に、「天ぷらにも応用できるのでは?」といったアイデアが閃きまして。
つまり、他の天ぷら店ではやらないことに挑戦できるかどうかが重要なんです。「楽しむこと」と「負けず嫌い」、この二つが料理人の仕事を続ける秘訣だと思います。基本はちゃんとこなしつつも、地道に創意工夫を実践できる意欲が大切ですね。
「いつかプライベートワインバーを」──次なる構想
――将来の展望についてお聞かせください
浅沼さん:4年後を目途に、人形町にプライベートワインバーを出店する構想を練っているんです。営業時間は夕方4時から深夜1時くらいで、「天ぷら 浅沼」のお客様がゼロ次会や二次会、三次会などに使える場所にしたいですね。
ワインバーでは「天ぷらでは落とし込めない食材を出す」というコンセプトを想定していて、フリット・フレンチフライ・クロケットなどの揚げ物を提供したいと考えています。
僕からスタッフにレシピとノウハウを伝えてお店を運営してもらい、カジュアルにお酒とつまみを楽しめる“第二の浅沼”を創る。ゆくゆくは皆様が楽しく交流できる、コミュニティの場にしていきたいなと。
【浅沼さんからのメッセージ】これから料理人を目指す人へ
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――最後に、これから料理人を目指す人へのメッセージをお願いします
浅沼さん:まずは料理と食を楽しむことから始めるといいと思います。僕の場合、自宅の小さなカセットコンロで天ぷらを揚げては「これがやりたかったんだよなぁ」と、幸せを噛みしめていました。そういう気持ちがあれば、修業が大変でも乗り切れるんじゃないかと。
とはいえ中途半端な気持ちでは、おそらく料理人としてやっていけません。本気でやる気があるなら、最低でも5年以上は修業すべきだと思います。若手のうちは半人前なので、“お金をもらいながら仕事を教えてもらっている”という感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。
またお金の使い方も仕事に直結していて、どれだけ食べ歩き(=自己投資)に回せるかも重要です。休日を遊びだけに使うのではなく、食材探しや外食という自己成長の機会に使う姿勢でいるといいですね。やりたいことに情熱を注いで努力すれば、自分の進むべき道はおのずと見えてくるのではないでしょうか。
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