「不器用な方がいい」。一流の寿司職人が40年かけてたどり着いた答え
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寿司職人になるつもりはなかった。軽い気持ちで入った調理の専門学校から、握り一筋40年の道へ。独立し母校で教える岡﨑さんが語る技術より大切なもの、そして飲食業界を目指す人への言葉を伺いました。
「料理人は、センスや才能がある人が生き残る世界」。そんなイメージを持っている人は、少なくないかもしれません。
けれど、自らを「落ちこぼれだった」と振り返る出発点から“大阪一”とも称される店の店長を経て、自身の店を構えるまでになった寿司職人がいます。
その職人は、寿司一筋40年の岡﨑孝治さん。創業明治43年、大阪に握り寿司を広めた名店「福喜鮨」の出身で、大阪高島屋店では長らく店長を務めました。その伝統を受け継ぎ、2017年には心斎橋に自身の店「おか﨑」を開店。2022年からは、母校の調理師専門学校で実習指導にも携わっています。
そんな岡﨑さんは長年のキャリアを経て、寿司職人の資質について「不器用な子のほうが、長続きする」という持論にたどり着きました。これから飲食の道に踏み出したい人へ、愚直に技術を磨き、人間性を育んできた職人の歩みを紹介します。
大事なのは技術より人間性。不器用な人は職人に向いている
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なぜ寿司職人には、不器用な人が向くのか。岡﨑さんの意外にも思える言葉の裏には、長きに渡り培ってきた実感があります。
「器用な人って、何でもすぐにできてしまうんですよね。だから自信過剰になって、努力しなくなる。逆に不器用な人は、一つのことを一生懸命やり続けるんです。結局はそういう人のほうが、長く続くんですよ」
技術そのものは、年数が解決してくれると岡﨑さんは言います。
「包丁を毎日握っていれば、技術は自然と身につきます。それこそ、目をつぶってでも魚を切れるようになる」
つまり、職人の資質を分けるのは、器用さではなく「努力を続けられるかどうか」。そして岡﨑さんは、その努力を目の前のお客様に向けるべきだと強調します。
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「お客様のために、どこまで自分の身を削って努力できるか。そこが一番大事なんです」
寿司を握る腕を磨くのはもちろんのこと、新聞やニュースで時事ネタを仕入れ、カウンター越しの会話でも楽しませる。お客様の気分や好みを見極める洞察力も磨き上げる。忍耐強さを忘れず、研究を怠らず、礼を尽くす。そんな人間性の積み重ねがあったからこそ、40年も職人を続けてこられたのだと岡﨑さんは振り返ります。
板場は舞台。寿司職人とは客に見られ続ける仕事
寿司職人という仕事を、岡﨑さんは“舞台”になぞらえます。
「板場は、舞台と一緒なんです。身だしなみも、手元の動きも、お客様からずっと見られている。だから、見せ方も仕事のうちなんですよ」
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その意識は、後進の指導にも表れています。岡﨑さんが母校の辻調理師専門学校でまず生徒に教えるのは、寿司の握り方ではありません。
「最初は包丁の置き方や衛生管理、整理整頓から教えます。段取りさえ整えば、仕事の流れは自然と掴めるようになりますから」
岡﨑さんには自身の修業時代に大番頭から受け、今も大切にしている教えがあります。
「『寿司を握った後も、必ずお客様の顔を見なさい』と言われました。美味しいかどうかを決めるのはお客様です。食べた人の反応を確かめないと、独りよがりな思い込みで寿司を握ることになりますから」
お客様の顔を見れば、伝わってくるものがあると岡﨑さんは続けます。ネタの大きさはこれでいいか、わさびの量は合っているか、お茶のおかわりはいつ出すべきか——表情やしぐさが、すべてを教えてくれるのだそうです。
ちなみに、寿司を握るときのギュッという動作。あれは演出なのだと、岡﨑さんは明かしました。
「あの動作とは関係なく、シャリの握り加減は手の中で作る型によって決まるんです。あのしぐさは、見ているお客さんに楽しんでもらうためのもの。それも含めて、寿司職人の仕事なんですよ」
「とりあえず楽したい」という動機で調理師の専門学校に進学
寿司職人一筋のキャリアを歩んできた岡﨑さんですが、実は最初から寿司職人を志していたわけではありませんでした。むしろ、料理の道に進んだきっかけは“かなり後ろ向きなもの”だったそうです。
中学・高校時代は野球一色でしたが、足のけがによりスポーツの道を断念せざるを得なくなります。進学先も就職先も考えていない状況で、選んだのが辻調理師専門学校でした。その理由は、本人いわく“軽い気持ち”でした
「野球部の頃は自由な時間がなかったから、正直なところ『あと一年ちょっとは楽したい、遊びたい』っていう気持ちだったんです。試験も面接もなしで入れる学校だったし、とりあえず一年通って、その先のことはそれから考えればいい。それくらいの軽い気持ちで決めました。」
料理人として身を立てるつもりも、自分にできるという自信も、その時点ではまだ持ち合わせていませんでした。
就職先未定から、「自分には無理」と思った寿司の名店へ
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専門学校での日々を経て、なんとなく「料理の世界で生きていけたらいいな」と思い始めていた岡﨑さん。しかし、いざ就職活動を始めてみると、現実はそうすんなりとはいきませんでした。修業先を決める校内審査で一度落とされ、年が明けても就職先が決まらない状態が続きます。
ただ、当時はバブル景気の真っ只中。就職率は120%とも言われた時代で、そこまで深刻には捉えていませんでした。
そんなとき、進路指導の先生から思わぬ話が舞い込みます。
「『一人空きが出たから、校内審査を受けて面接に進んでみないか』と勧められたのが、福喜鮨だったんです」
福喜鮨は、東京から握り寿司を初めて大阪に持ち込んだとされる、関西握り寿司のパイオニア。「大阪一高級」と言われた名店で、就職できる人はごくわずかでした。
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「正直、『自分みたいなちゃらんぽらんには無理やろな』と思っていました」
ところが、面接当日に岡﨑さんのその後の人生を決定づける出来事が起こります。
「福喜鮨の大番頭が、わざわざ学校まで車で迎えに来てくださったんです。本店で親方との面接が終わったら、お土産にちらし寿司と電車賃をいただいて……。ここまでしてもらったら、もう断れないですよ」
岡﨑さんは、思わぬ形で名店の門を叩くことになりました。
長い下積みも、同期や先輩との繋がりが支えに
入店初日、岡﨑さんは大きな衝撃を受けます。
「『世の中に、こんな寿司屋があるのか』と驚きました」
店内は音楽も余計な物音もなく、聞こえるのは水の流れる音だけ。1人のお客様に5人の職人がついて接客することもあるような格式の高いお店でした。
そんな店での修業は、長く険しいものでした。1年目は鍋磨きや小魚の下処理、シャリ炊き、掃除ばかり。2年目でようやく巻物を任され、3年目で握りの研修が始まり、実際に握れるようになるのは4年目から。カウンターでお客様の注文を受けて握れるようになるまでには、10年近くの時間を要しました。
先の見えない下積み時代は、岡﨑さんにとって「しんどい」の連続でした。それでも修業をやめなかったのは、同じ志を持つ仲間の存在が大きかったといいます。
「苦楽を共にした同期や先輩がいたから、続けられたんです。お互いに支え合える関係だったから、修業が大変でも頑張れた。その人たちとは今でも付き合いがありますよ」
“一流の味”を知って向上心に火がついた
岡﨑さんの転機となったのは、常連客が「勉強のために」と連れて行ってくれた高級店でした。あるフグ屋で今まで見たことのない盛り付けを目にして、驚きました。
「フグの切り身って、普通は丸い大きな皿に盛るじゃないですか。それが円卓に置かれた皿いっぱいに広がっているんです。コノワタみたいな珍味も一緒に並んでいて、『こんな食べ方があるのか』と、感性がガラッと変わりました」
この出会いをきっかけに、岡﨑さんは「お客様ごとに具材の切り方やシャリ・わさびの加減を変え、同じ食材から何種類もの握りを表現したい」と、より柔軟な発想で寿司と向き合うようになります。
人との出会いは、その後も岡﨑さんを変えていきます。よく通っていた串カツ屋の大将からは、こんな言葉をかけられました。
「『今は辛いと思うけど、我慢しろ。こんなにいい魚を使っている店は、他になかなかない。今のうちに魚のことを覚えておけば、後でいくらでも自分なりに工夫できるようになる。いいものさえ知っておけば、あとは何とかなるから』と言われたんです。その言葉に、ずいぶん救われました」
福喜鮨の親方が見せるプロ意識の高さも、岡﨑さんに大きな影響を与えました。一貫を握るのにカウンターを一周し、お客様がいなくても握る練習を欠かさない。自分の目利きで選んだ魚の仕込みは、絶対に他人任せにしない。
積み重ねた出会いと学びの一つひとつが、岡﨑さんという寿司職人を少しずつ育んでいきました。
お客様の笑顔が原動力であり、一番の喜び・やりがい
岡﨑さんが仕事の励みにしているのは、カウンター越しに見えるお客様の反応です。
「来店されたときは機嫌の悪かった方が、たった一皿でニコッと表情を変えることがあるんです。料理には、すごい影響力があるんだなと実感しますね。だから、最後はニコッと笑って帰ってもらいたい。お客さんが満足して帰ってくれることが、『次も頑張ろう』という原動力になるんです」
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一方で、お客様の舌は正直です。味に自信のない一皿は、すぐに見抜かれてしまうといいます。
「うちの店にくるお客様は最高の寿司を求める方ばかりなので、少しでも気を抜くと『今日はちょっと味が違う』と怒られることもあります」
だからこそ、岡﨑さんは提供する寿司に妥協をしません。
「経営者というより、自分はいち職人、寿司職人なんですよ」
かつて、より手頃な価格のランチを提供することも頭によぎりました。しかし常連のお客様から「良いお寿司を食べに来ているのだから、それを出してほしい」と言われ、考えを改めたといいます。一流の品で、目の前のお客様をできる限り喜ばせる。それが岡﨑さんの流儀です。
寿司職人の仕事を文化として残したい
岡﨑さんが母校で教えるようになった背景には、ある思いがあります。親方や先輩たちから受け継いだ寿司職人としての技術や心構えを、次の世代へ伝えたい。かつて自分が教えてもらったように、今度は自分がその役割を担う番だと感じているのです。
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「寿司って、ただ具材を切ってシャリにのせるだけでは握れないんです。一貫の裏には、手間暇かけた仕込みや、心を尽くした接客がある。その奥深さを、若い人たちに知ってほしいんですよ」
寿司の奥深さに触れることができたのは、技術の向上を目指すに留まらなかったからこそ。握り以外の学びにも貪欲に挑み続けた経験が、岡﨑さんの視野を広げてきました。
「お客さんを楽しませるために幅広い知識を学んで、接客の技術も磨いてきました。もし寿司を握ることだけしかしていなかったら、『ただ働くだけの、自信のない職人』になっていたと思います」
そしてもう一つ、岡﨑さんは若い世代に「人との繋がりを大事にしなさい」ともアドバイスしました。
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「商売も人生も、結局は人と人の繋がりなんですよ。繋がりを持てない人は、何をしても成功しません。周りに助けられ、相手が困っていたら自分もできる限り手を差し伸べる。そうした“持ちつ持たれつ”の関係を築くことを、何より大事にしてほしいですね」
技術も人間性も含め、受け継いだ仕事を文化として残していきたい。その思いを胸に、岡﨑さんは後進の育成に取り組んでいます。
【料理人を目指す人へ】最初の1年を乗り越えれば、道は開ける
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これから料理人を目指す人へのメッセージとして、岡﨑さんはこう語りました。
「まずは最初の1年、お店の方針に慣れることだけ考えてください。そこさえ乗り越えれば2~3年は続けられるし、仕事がどんどん面白くなってきます。どんな仕事でも、初めが一番大変ですから」
一方で、無理に続ける必要はないとも言います。
「もし合わなければ、寿司職人以外の道に進んでもいいと思うんです。料理の世界は広いので、自分に合う分野を選んでください」
岡﨑さんたちの世代は、厳しく怒られながら育ちました。ただ、自身が指導する立場になった今は、頭ごなしに若手を怒らないよう心がけているといいます。
「もし選べるなら、自分も怒られない時代に修業したかったですね」
そう言って笑う岡﨑さん。厳しい時代を生き抜いてきたからこそ、その言葉には若い世代を優しく後押しする温かさがにじんでいました。
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