バンドマンから銀座のフレンチシェフへ。27歳・未経験で飛び込んだ女性料理人が掴んだキャリア

元バンドのベース・ボーカルが、ワールドツアー中に出会ったブイヤベースをきっかけに27歳でフレンチシェフの道へ。「RED U-35シルバーエッグ」を受賞した村田美月さんが語る料理人としての生き方と、これから料理に挑む人へのメッセージをお届けします。

銀座のフレンチレストランで、キッチンの中心に立つ女性がいます。「l'atelier de oto(ラトリエ・ド・オト)」のシェフ、村田美月さん(34)です。

彼女が辿ってきたキャリアは、決してまっすぐではありませんでした。高校は建築科で学び、卒業後は実家のパティスリーに就職したものの、20代で上京。バンドマンとして国内外のツアーを回っていた――そんな異色の経歴の持ち主です。

人生の転機になったのは、ツアーで訪れたフランスの港町マルセイユで口にしたブイヤベースでした。その衝撃から、村田さんは27歳でフレンチの世界へ。決して早くはないスタートながらひた向きに努力を続け、若手料理人の登竜門とされるコンクール「RED U-35」では、数百名の応募者のうち上位約20名に贈られる「シルバーエッグ」を受賞しました。

回り道の先にキャリアを掴んだ村田さんの歩みと、これから料理に挑む人へのメッセージをお届けします。

未経験から約6年でキッチンの“指揮者”へ。お客様の喜ぶ顔が、日々の原動力

銀座駅から徒歩2分のGINZA SIX内に店を構え、クラシックなフランス料理を現代的にアレンジして提供する「l'atelier de oto」。その厨房を統括するのが、シェフの村田美月さんです。シェフに就任したのは約1年前。27歳で未経験からフレンチの修業を始め、わずか6年ほどで厨房のトップへと登り詰めました。

「1年経ってようやく慣れてきたという感じですね」と村田さんは笑いますが、その仕事ぶりは着実に周囲の信頼を集めています。マネージャーの渡邊秀樹さんはこう表現します。

「村田さんの役割は“指揮者”に近いんですよね。スタッフの良いところをひとまとめにして、料理を組み立てて僕たちに届けてくれています」

実際、村田さんの仕事はキッチンの中だけにとどまりません。料理を作ることはもちろん、スタッフやマネージャーとの連携に至るまで、お店全体に目を配っています。その様子は、指揮者がプレイヤーの音を束ねてハーモニーを作り上げる姿と重なります。

村田さん自身も、シェフにはキッチンだけでなく、店全体を見渡す視点が必要だと考えています。

「キッチンの中が完璧であるのは当然なんです。そのうえで、お店全体をどう良くしていくか。そこまで考えられる余裕と視点を持たないといけないなと思っています」

「l'atelier de oto」は客席と厨房を隔てる壁がないオープンキッチンのため、料理を口に運ぶお客様の様子が目に入ります。

「細かい表情まで分からなくても、お客様の反応が厨房越しに見えるんです。だからこそ、つい気になってしまうこともあって。料理の出来映えが気になって、『お客様、なんて言ってた?』ってつい聞いちゃうんですよね」

オープンキッチンの向こうに見えるお客様の反応は、料理がどう届いたのかを確かめる手がかりでもあります。その姿を見つめながら、村田さんは次の一皿をより良いものにしようと、日々料理と向き合っています。

故郷の食材と、原点の感動を一皿に。スペシャリテに込めた思い

村田さんのスペシャリテは「大人のエビフライ」です。

その一皿には、地元の食材と料理人としての原点が詰め込まれています。主役は、故郷の三重・安乗(あのり)漁港で水揚げされる「宝彩海老(ほうさいえび)」。

衣には、伊勢茶のほうじ茶を練り込んだパン粉を使います。ブイヤベースのソースで黄金色に輝く海を、ブロッコリーのエクラゼ(粗くつぶしたもの)で海に浮かぶ小島を、皿の上で表現しています。

この風景には、村田さんの思いが重ねられています。マルセイユと伊勢志摩は、どちらも海辺の街。「マルセイユで見ていた景色と、伊勢志摩の景色が重なるんですよね。だから、あの感動を故郷の食材で表現したいと思ったんです」

「大人のエビフライ」が生まれたきっかけは、35歳以下の若手料理人が競う日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35(RYORININ's EMERGING DREAM U-35)」でした。

「そのときのテーマが『未来の子どもたちに贈る一皿』だったんです。子どもたちが喜ぶものってなんだろうと考えたときに、エビフライが思い浮かびました。そこに、私がフランスで出会い、料理人を志すきっかけとなったブイヤベースを組み合わせています」

子どもにも親しみのあるエビフライにブイヤベースの奥行きが加わり、その名のとおり“大人の”一皿へと仕上がっています。

数百名の応募者の中から上位約20名のみに贈られる「シルバーエッグ」を獲得した「大人のエビフライ」は、現在ではお店の人気メニューとして提供され、お客様から好評を得ています。

「大人のエビフライ」をはじめ、いくつものメニューを創作してきた村田さんですが、シェフを任されるようになった当初は、料理を考案する大変さを実感したといいます。

「シェフになって初めて、料理を創造する苦労が分かりました。それでも、毎日『昨日よりいいものを出したい』という気持ちで厨房に立っています」

試行錯誤を重ねながら、一皿一皿を磨き続ける。そんな姿勢が、村田さんを料理人として成長させてきました。

フランスで出会ったブイヤベースに衝撃を受け、27歳でフレンチの世界へ

村田さんは、三重県の伊勢志摩で生まれ育ちました。

実家は、母が営むパティスリー。学校から帰るとまっすぐお店に向かって、母の仕事をそばで眺めている子どもだったといいます。

「お菓子作りだけじゃなく、料理と絵を描くことも好きでした。物心ついた頃から、何かをつくることに魅力を感じていたんだと思います」

高校は建築科で学び、卒業するとそのまま実家のパティスリーに就職。ところが、その後は料理の世界から離れ、音楽に傾倒していきました。

自主レーベルを立ち上げた村田さんは、20代で上京。バンドのベース&ボーカルとして音楽活動に打ち込みます。全国を巡り、海外ツアーにも挑戦するなど、精力的に音楽活動を続けました。

人生が大きく動いたのは、そのツアーの最中でした。訪れたフランス・マルセイユで口にしたブイヤベースに、村田さんは衝撃を受けます。

「本当に、あのとき食べたブイヤベースがめちゃめちゃおいしくて。港町ならではの雰囲気も相まって、最高の一皿でした。この感動を忘れたくないと思ったんです」

その思いを胸に、村田さんは27歳でフレンチの修業を始めます。修業先を探すために開いたのは、求人サイトでした。そこで見つけたのが、六本木にあるトリュフ専門のフレンチレストラン。フランスの名店で経験を積み、フランスへの深い愛情を持つシェフのもとで働けることに惹かれ、応募を決めました。

「今は何も分からないんですけど、一生懸命頑張りたいのでお願いします——そこからのスタートでした。『全部吸収してやろう』という気持ちでずっといましたね」

周りには、10代から包丁を握ってきた料理人も少なくありませんでした。それでも、村田さんが考えていたのは、これから自分がどこまで成長できるかということでした。過去や周囲との経験の差ではなく、自分自身の未来に目を向けていたのです。

調理の基礎技術やフランス語の専門用語を覚えるところから始まった修業で、村田さんは目の前の課題に向き合い、一歩ずつ着実に歩みを進めていきました。

「三重ってすごい」。生産者との出会いで気づいた地元の魅力を、全国へ届けたい

村田さんが地元・三重の魅力に気づいたのは、料理人としてのキャリアを歩み始めてからでした。

きっかけは、コンクールの出品準備のために伊勢志摩へ里帰りしたことです。料理に使う食材の仕入れ先を求めて村田さんは自ら生産者のもとへ足を運びました。そうして食材と向き合ううちに改めて実感したのが、ふるさとの豊かさです。地元にいた頃は当たり前にあった海の幸も、料理の世界で養った目を通して見るとまったく違うものに映りました。

「生産者の方々に会って、『三重県、すごいじゃん』って素直に思ったんです」

生産者と関係を深め、その思いや食材の魅力に触れたことで村田さんの料理への向き合い方も変わっていきます。そしてその経験は、村田さんの視野をさらに広げていきました。

「三重に限らず、まだまだ知られていない食材が全国にたくさんあるはずなんです。これからは、自分でいろんな場所へ探しに行きたいですね」

当面の目標は、まだ注目されていない食材の“広告塔”に、自らがなること。自らが提供する料理を通じて、多くの人に知ってもらいたいと考えています。

さらにその先には、「三重県の観光大使になりたい」という夢もあります。料理を入り口に、故郷の魅力そのものを広めていく。

「一度やるって決めたら、最後までやり抜くタイプなんです」

目標を実現しようとする強い意志と、現状に満足しない向上心が、村田さんを次の挑戦へと駆り立てています。

【料理人を目指す人へのメッセージ】スタートが遅くても、本気になればやれる

最後に、これから料理人を目指す人へ向けたメッセージを伺いました。

もし、料理に出会った頃の自分に声をかけるとしたら——。その問いに、村田さんはこう答えました。

「『やりたいことはやる、やりきる、有言実行する。それでいいよ』って、言ってあげたいですね」

27歳という、決して早くはないスタート。周囲との経験の差に苦労することもありましたが、村田さんは、その歩みを振り返り次のように語ります。

「スタートが遅くても、本気になればやれる。自分自身、いろいろなことをやってきて、身をもって実感しています」

前に進んでこられた背景には、“回り道”を恐れず、興味を持ったことに挑戦してきた姿勢もありました。

「回り道になるかもしれないけど、絶対にいろいろやってみたほうがいいです。私自身、音楽をやっていた経験が料理の道につながっていますから」

人生を変えたブイヤベースに出会えたのは、ツアーで海外を回っていたからこそ。人前に立って表現することに向き合ってきた経験は、オープンキッチンでお客様と向き合う今の仕事にも通じています。回り道のように見えた足跡も一本の線でつながっている。村田さんは、そう実感しています。

ただし、料理の世界は決して楽な現場ばかりではありません。それでも村田さんが続けてこられた理由は、いたってシンプルです。

「確かに大変な仕事ですけど、クリエイティブしている感覚が楽しいっていう気持ちが勝つんですよ。だから続けられるんだと思います」

そして、村田さんはここまで自分ひとりの力で歩んできたとは考えていません。生産者やスタッフ、お店に関わるたくさんの人たちの支えがあって、今の自分があると自覚しています。

「自分の力だけでは成し遂げられないことばかりでした。周りの人に支えられて今に至っているんですよ」

やりたいことに本気で向き合い、周囲の支えを力にして突き進んできた村田さんの言葉は、これから一歩を踏み出そうとする人の背中を押してくれます。

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人生はいつだってやり直せる。27歳未経験の元バンドマンが、銀座のフレンチシェフに駆け上がるまで

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